谷川 浩司さん、1962年生まれ。
若松政和七段門下。
タイトル獲得数は27で、歴代4位の記録です。
A級在位32期連続、連続では歴代2位、通算では歴代3位の記録。
名人位を通算5期獲得しており、17世永世名人の資格保持者です。
現在の順位は、竜王戦4組、順位戦B級1組。
幼少の頃の谷川さん、兄弟喧嘩が絶えず、超負けず嫌い
お兄さんの谷川俊昭さんと一緒に将棋をはじめました
お兄さんは灘高から東京大学卒業。
アマチュアですが、プロ並みに強く、
羽生さんに平手で勝ったこともあります。
リコーという企業の将棋部で企業対抗の職場団体戦では、
ほとんど最上位クラスで戦っていました。
この兄弟が、けんかが絶えない兄弟で、親は
仲良くさせるために将棋を学ばせました。
しかし、これが全く逆効果。実際には中がもっと悪くなってしまったそうです。
谷川浩司さんが負けた時に、くやしくて駒を投げつけたり、
駒をかんだことがあったそうです。
いまでも谷川さんの実家には歯型のついた駒がとってあります。
藤井聡太さんも子供の頃負けると号泣していたという逸話がありますが、
強くなるための条件の一つに負けず嫌いという気質があります。
勝負師や、スポーツ選手には必要不可欠な要素のようです。
ご両親は将棋を全く知らず、ルールを百科事典で調べたそうです。
当時の百科事典は将棋の部分だけ真っ黒になったとか。
光速の寄せ、天才というのは谷川先生のことをいうのだ、驚異の終盤力
谷川さんの才能は非常に切れ味鋭く、また巨大で強いものです。
将棋の強いトップ棋士というのはみな終盤が強いです。
ですが、そのなかでも谷川さんは飛び抜けて強く、
終盤にスピード感を持ち込んだはじめての棋士、
終盤の考え方を変えてしまった、といわれています。
このことから、谷川さんには、
「光速の寄せ」
というキャッチフレーズがつきました。
羽生さんをして、「来ると思ったら寄せられている」
と言わしめました。
終盤が強い棋士にはありがちなことですが、
若い頃は序盤があまりうまくない、雑だった時期もあったようです。
そのころは、「はやく終盤になればいい」などと思っていたそうです。
恐るべき自分の終盤力への自信です。
専務理事から会長職、そして辞職、降級
2011年から谷川さんは専務理事という仕事に付きました。
おそらく自分が連盟を、という思いがあったのでしょう。
2012年、米長邦雄さんが逝去、これにより、日本将棋連盟会長に就任しました。
当時、ドワンゴ社のイベントを、叡王戦-電王戦に押し上げたり、
などの実績も数多く残しましたが、
2016年、三浦弘行九段の「将棋ソフト不正使用」の疑惑問題、
の責任を取る形で、辞職。
この会長職の間も谷川さんは現役棋士でしたが、
この間2014年にA級からB級1組に落ちています。
このときは去就が注目されましたが、
引き続き現役続行され、現在もB級1組。
勝率も2017年から上向きになっており、
ぜひもう一度A級で指す姿をファンとしては見たいものです。
まとめ
谷川浩司さん、おそらく歴史上もっとも才能のある天才棋士、
といっていいのではないでしょうか?
しかし、その谷川さんは、才能について、こう述べています。
「才能という言葉が必要になるのは、ある高さまでいってから」
「努力によって自分の力を最大限にまで高め、
その限界を乗り越えようとする時に、
初めて才能というものが必要になってくるのではないだろうか。」
本当の天才が言う言葉だけに深く重みがありますね。
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