将棋と聞いて、まず羽生善治さん、を連想する方も多いと思います。
羽生さんの数々の実績の中で最も顕著なのは7冠達成でしょう。
今回は、将棋の代名詞、ともいうべき羽生善治さんの
7冠達成に関して説明します。
タイトル戦とは
7冠を説明する前にタイトル戦の説明をします。
将棋界には棋戦というものがあります。
棋戦は、一般棋戦とタイトル戦とに分かれます。
通常タイトル戦のほうが「格上」であり、賞金なども多い傾向にあります。
タイトル戦にはタイトル保持者というのが存在します。
そしてタイトルに挑戦する挑戦者がいます。
挑戦者になるためには予選から何回も戦い、最後まで勝つ必要があります。
その後、タイトル保持者と番勝負をします。
たとえば7番勝負であれば、先に4勝したほうが勝ちとなります。
通常は一年に一度の頻度で実施されます。
しかし、すべてのプロ棋士がタイトル戦の番勝負に
出場できるわけではありません。
一生タイトル戦に縁のない棋士が大多数なのです。
タイトルを獲得できるのはおそらく上位10%程度でしょう。
7冠まで
このXX冠というのは、同時にXX個のタイトル保持者になっている状態、
という意味です。
当時タイトルが7つしかなかった時代であれば、
7冠というのはすべてのタイトルを同時に獲得した状態、
ということです。
テニスの年間グランドスラムに匹敵するでしょう。
羽生さんが7冠を達成したのは1996年のときですが、
その一年前の1995年のときには6冠を達成しています。
6冠後、王将というタイトルの挑戦者となり、後1つ勝てば7冠!
というときに、残念ながら負けてしまいました。
最終戦には、いままでにないくらいマスコミが殺到し、
ほとんどのひとが7冠に期待を寄せたのですが、
相手も天才棋士である谷川浩司さんが見事阻止しました。
しかし、羽生さんは、翌年までの1年の間に、
もっている6冠のタイトルをすべて防衛し、
王将戦の予選もきちんと戦い抜いて挑戦者になり、
1年後に見事奪取、7冠を達成しました。
1996年2月のことです。
7冠後
7冠保持は1996年7月30日に
三浦さんに負けるまでの167日間続きました。
負けた後、羽生さんは、「普通に戻れるのでホッとした」旨の発言をしています。
いやいやいや、普通ったって6冠ですよ?
6冠でも当時羽生さん以外だれも成し遂げていません。
この7冠前後の1994年から1996年あたりが
羽生さんのピークといえそうです。
1994年2月~1997年2月までの間に
すべてのタイトル戦に計22回出場し、
そのうち3回しか負けていません。
この間6冠→7冠→6冠みたいな感じです。
羽生さんは、最初に竜王というタイトルを獲得した
1989年から、2018年まで約30年間、
1つ以上のタイトルをずっと保持しています。
そしてそのほとんどの期間、2つ以上タイトル保持しています。
3つ以上保持していた期間もかなり長いです。
30年近くの間、最低1つ以上のタイトルを保持しています。
こんな棋士は後にも先にも羽生善治さんだけでしょう。
まとめ
羽生さんの実績、主に7冠に関して説明しました。
羽生善治さんという棋士がいかに突出した実績を
持っているか理解していただけましたでしょうか?
将棋史上に残る大棋士であることは間違いありませんが、
歴史上の一人、というより史上最強の棋士という意見も多く、
実際それだけの実績を残しています。
今後もまだまだタイトルを取得することが予想され、
精神的にも高いレベルに到達しており、さらに今後も期待もされます。
以上
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