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藤井聡太さんと比較される中原誠さんの記録や成績は? 歴史に残る中原名人を説明します。

中原さんを一言で言うならば、「歴史に残る大棋士」です。
当時の強さは、現在の羽生さんに匹敵します。
将棋界の覇権を一時期完全に握っていました。
中原誠という棋士が将棋の歴史を作って来たのは間違いないです。
今回は中原さんについて説明します。

棋歴

中原さんは、将棋の棋士です。
1947年生まれ。
1957年に将棋界の一大勢力であり、名門の高柳一門に入門。
同じ門下に、芹沢博文さんがおられました。
「中原の将棋は、心は金(名誉名人)、思想は高柳、技術は芹沢」
といわれたくらい、中原さんは芹沢さんに数多くの対局指導を受けたそうです。
芹沢さんは、競馬も行かずに指導した、とのこと。
意外にも奨励会は3段時代に3年も足踏みします。
当時は東西決戦が残っていた時代で、1965年に無事勝ち抜き、
プロデビューされました。

1968年に初タイトル取得。
1970年に大山名人からタイトルを奪取し、
さらに1972年に名人をうばいます。
帝王である大山康晴から奪い取った形になります。
その後20年以上第一線で活躍されました。
この間の実績はものすごく、
・タイトル獲得数64個、
・同時タイトル獲得数5(いわゆる5冠王)、
・5つの永世称号
・A級在籍連続29期
・年間最高勝率記録
・順位戦連続昇級記録
などあげればきりがありません。
いまだに破られていない記録も多いです。

年間最高勝率記録の8割5分5厘は
まだ歴代1位の記録であり、藤井聡太さんでもまだ届いていません。

棋風

将棋自体はまさに名人のそれで、
序盤から雄大な構想を描き、中盤で優位を拡大し、
終盤までもっていくそのさまは、他を圧倒していました。
それは、中原自然流と名付けられ、おだやかな人柄とともに
人々に強く印象づけました。

中年以降は、かなり独特の指し回しが目立ち、
一見異質と見えるような手でも恐れず着手し、細い攻めをうまくつなげているのは
まさに名人に定跡なしいう格言に合致しています。

また入玉を得意としているのも特徴です。
谷川浩司さんは一時期入玉模様を苦手とし、これに苦しんでいたようです。

著作も大変に多く、入門書から定跡書まで幅広く本を出されています。
また詰将棋を作るのも得意で、詰将棋の著作も多いです。

また1979年の名人戦では将棋界最高の名手ともいうべき5七銀
を指しています。相手がライバルの米長邦雄さんだったことも印象深いです。

不倫騒動

中原さんを語る上で欠かせない出来事に、林葉直子さんとの不倫騒動があります。
1998年にワイドショーなどでとりあげられ大変話題になりました。
元女流棋士だった林葉さんとの不倫はセンセーショナルで
留守電に録音した中原さんの音声がTVで流れ、話題となりました。
また、中原さん自宅の庭でこの不倫騒動に関する報道をして、
ここでも常人と違った感性が印象に残ります。

これによって林葉さんは将棋界から出ていかざるを得なくなりました。
林葉さんは大変な才能の持ち主で、この出来事が無ければと
思うと非常に残念な出来事です。

まとめ

中原誠さんを説明しました。
中原さんが将棋界に残したキャリアは、圧倒的なものであり、
他を寄せ付けない一時代を築いた人です。
一時期は現在の羽生さんのように、将棋界の顔であったと思います。
ですが、完璧ではもちろんなく、うっかりした部分や、
他の人とは違った独特のものの見方があったようです。
それが不倫などのスキャンダルにつながってしまったとも言えるでしょう。

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