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元将棋連盟会長、米長邦雄さん! さわやか流とよばれた現役時代の強さ実力を説明!

米長邦雄さんという棋士がいました。
すでに故人であり、将棋連盟の会長職も務められました。
今回はこの人を解説します。
現役時代にプロ棋士としても実績を数多く残されていますが、
他にもさまざまな活動をし、他の業界とのパイプも多く、
将棋界に多大な貢献をした人です。

棋歴実績

現役時代の主な実績として以下があります。
・A級在位連続26期
・タイトル獲得数19
・一般棋戦優勝回数16
これらだけで超一流棋士といってよい実績です。

が、他の超一流棋士のように、早熟の天才ではありませんでした。
加藤一二三さんや藤井聡太さんのように中学生でプロになったわけでもなく、
また、最上位のA級までいくのに8年かかっています。
もちろん遅いということではないですが、加藤一二三さんや中原誠さんのような
最速で昇級したということではありません。
しかし、このあとの活躍が素晴らしく、
順位戦に関しては米長さんは異常なまでの強さを発揮し、
A級在位26期つとめています。これ自体もすごい記録ですが、
中盤まで降級のピンチになることがほとんどありませんでした。
A級になってタイトル戦の常連になり、
1984年にはタイトルの過半数をしめる4冠王となりました。
40代になってからのほうが力を発揮した珍しいタイプです。

終盤力

米長さんの将棋の特徴は、典型的な終盤追い込みタイプです。
弟子の先崎さんによれば、玉周りの感覚が時代の先を行っていた
とのことです。
特に玉が詰む詰まないというものをかぎとる能力に長けていて、
自分の玉が絶対に詰まない形いわゆるZの形にして、攻めを続ける
といった戦略をとっていました。
今でこそ当たり前のこの感覚は、米長さんは当時からつかんでおり、
他の棋士が気が付かないことを先んじて理解していたので勝てた、
とのことです。

奨励会時代は、不利な序盤を、終盤でひっくり返して逆転し、
負け将棋をひろいまくったということで、
バタやのよねさん、というあだ名がつけられました。

その終盤力で逆転する将棋が多かったので、
将棋の逆転術に特化した本もだしています。

50歳名人

米長道場1980年台に優秀な若手が棋界を席巻していきました。いわゆる羽生世代の台頭です。
これに対抗すべく、というより、彼らから教えをこうべく、
自宅を改造し研究をおこなう道場として開放し、多数の若手を招集、
ともに研究をすることとなりました。これが米長道場と呼ばれました。

多数の若者が参加し、特に若手の森下卓さんに米長さんは非常に多くのことを学んだといっています。
従来の終盤力に加え、ここでつちかった序盤の研究が、後の50歳名人の原動力となったと言えます。
米長さんが最も欲しかったタイトルは名人でした。これに米長さんは、6回挑戦していずれも破れています。
やっと7回目の時に名人をつかみました。
ただ、翌年、羽生さんが挑戦者となり、残念ながら在位は1年限りとなってしました。
しかし、この50歳名人というのは最高年齢記録であり、当時は中高年に明るいニュースとなりました。

まとめ

米長邦雄さんの説明をしました。
将棋の実績だけでも相当にすごい人だということがわかるでしょう。
タイトル実績をみると、あの天才加藤一二三さんを凌駕しています。
両者はタイプの異なった天才で、共通しているのは天分に甘んじることなく、
その上にこれまた常人離れした努力を積み重ねているところです。
棋歴だけみると輝かしい実績だけが目立ちますが、その影には
たゆまぬ努力があってのものだということと思います。

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